新しい病院の形:ホスピタルアートとは?効果や日本と海外における歴史をわかりやすく解説

新しい病院の形:ホスピタルアートとは?効果や日本と海外における歴史をわかりやすく解説

目次

    WHO欧州地域事務局は2019年に、「芸術は精神的および身体的健康に潜在的な影響を与える」ということを明らかにしたレポートが発表しました。このレポートは、「ヘルスケアアート」および「ホスピタルアート」の効果や概念が改めて注目されるきっかけの1つとなりました。

    そこで今回は「ホスピタルアート」の定義や歴史、先進国とされる海外での実際の取り組み事例に加えて、WHOが発行したレポートをわかりやすく解説していきます。

    ホスピタルアートとは

    ホスピタルアートの定義

    ホスピタルアートの定義は一般的に、「医療・福祉施設でボランティア・患者・職員などが絵画や音楽などの創作・展示・発表などをおこなう活動。またその芸術。 施設内を心地よい空間にすることによって患者の精神的ケアを図るもの 」とされています。(引用:三省堂「スーパー大辞林 3.0」)

    同列に「ヘルスケアアート」という言葉も使用されますが、これは病院内に限らず、介護施設や福祉施設などといった広範囲な場面での活動といえ、さらに「アートで医療や健康をサポートする」という意味では「アートセラピー」も近しい位置づけと考えられます。

    アートと医療の関係性はいつから研究されている?

    芸術と医療の結びつきには、20世紀初頭に急増した結核患者が大きくかかわっています。

    当時の患者たちは療養所に収容され、自身の病気と環境などによる孤独に苛まれていました。そのようななかで患者の苦しみを癒す方法の1つとして選択されていたのが「絵画」や「デッサン」です。アート活動に参加していた患者は、非参加の患者よりも苦痛が少なかったとされ、医療の現場におけるアートの有益性が認識された瞬間でした。

    こうして実際に臨床の場で効果が認められた芸術療法(アートセラピー)は、ほどなくして精神病院で正式に導入されるようになりました。(参照:Art&object「An Introduction to Art Therapy: Its History and Practice」

    ホスピタルアートの発祥

    アートセラピーの創始者の1人、芸術家・心理学者・教育者のマーガレット・ナウムブルグ(1890-1983)は、芸術的な表現を通しておこなう感情の探求や癒しについて提唱し、さらにはアートセラピーを学校の教科として導入するよう働きかけたことで有名な人物です。また、オーストリアの画家・教育者エディス・クラマー(1916-2014)も、アートセラピーの先駆者的存在の1人です。感情や行動に問題を抱えた学生たちに対し、内に秘めている不安や怒りを視覚的な方法で解放させるアートセラピーをおこないました。

    このように、芸術が医療を助ける一面があることは1940年代より注目されてきました。(参照:公益社団法人 日本心理学会「心理学史の中の女性たち」

    海外のホスピタルアートの歴史

    では次に、国別によるホスピタルアートの歴史を見ていきましょう。

    スウェーデン 

    スウェーデンはホスピタルアートの先進国の1つです。 

    1937年に政府は、通称「1%ルール」と呼ばれる法律を制定しました。これは病院や学校、図書館など、さまざまな公共の建築物の建設や改修予算の”1%”をアート作品の設置に充てるというものです。公共施設やインフラの建設に伴う文化・芸術の普及を進めることを目的としています。この法律により、病院のアートの導入は患者の健康や回復、ウェルビーイングへの関与など、医療的な視点から重要視されるようになりました。 

    2006年にはアートセラピストの専門組織「スウェーデン国立アートセラピスト協会(Svenska Riksförbundet för bildterapeuter)」が設立されました。この組織はアートセラピーの普及のみならず、セラピーに携わる専門職の発展も目指しており、アートセラピストの資格認定の実施や、アートセラピーに関する研究を広めることで有効性と重要性を社会に伝えています。 (参照: Svenska Riksförbundet för Bildterapeuter 公式ホームページ) 

    さらにスウェーデンでは、アートセラピーにまつわるコミュニティ活動も盛んです。たとえば2018年に設立された「EFAT The European Federation of Art Therapy ヨーロッパアートセラピー連盟」は、ヨーロッパ中のアートセラピストがメンバーのコミュニティです。アートセラピーに関する書籍やガイドラインを出版しており、専門家や一般社会への情報提供、アートセラピーの教育プログラムやトレーニングをサポートするなど、教育・研究・政策提言にまつわる多様な活動をおこなっています。 (参照: The European Federation of Art Therapy 公式ホームページ) 

    イギリス

    イギリスでは、1959年に設立された民間の慈善団体「Paintings in Hospital」によって、国立神経外科病院の病棟や待合室などに「絵画を飾って患者を癒す活動」が始められました。同時にアートと健康にまつわる調査もおこなわれ、患者の入院日数の縮小や、薬の使用量の減弱など様々な効果が証明されています。

    このエビデンスは、NHS(National Health Service:国民保健サービス) による、「アーツ・イン・ヘルス(Arts in Health)」活動が始まるきっかけとなりました。アーツ・イン・ヘルスは健康促進の手段の1つとして「芸術」を取り入れる取り組みで、アートセラピーはもちろんのこと病院内や医療施設における絵画や彫刻作品の展示、また音楽・演劇療法もおこなっています。

    また2007年に保健省が明らかにした芸術・健康ワーキンググループにまつわる調査では、「アートは支援スタッフを含む健康・医療提供およびヘルスケア環境に不可欠で確固たるものとして認識されるべきもの」と発表されました。

    さらに「アートセラピー」という用語はイギリス出身の芸術家エイドリアン・ヒル(1895-1977)によって造られるなど、アートと健康および医療にまつわる取り組みは、イギリス内において積極的におこなわれています。(参照:高野真悟・阿部順子・鈴木賢一「英国の病院のArts in Healthの概念と活動組織に関する研究」 Art and Object「An Introduction to Art Therapy: Its History and Practice」

    アイルランド

    アイルランドでは1990年代後半から、芸術の推進と発展を目的とした国家機関「アイルランド芸術評議会」が医療における芸術の価値を提言し、それにまつわる活動の支援に力を入れています。2004年にはアイルランドの医療・福祉環境におけるアートプロジェクトの立ち上げ・運営のためのガイドブック(「The Arts and Health Handbook」)が当評議会によって発行されています。

    またアイルランドには、1993年にアブドゥル・ブルブリア博士の提案を受けて設立された「ウォーターフォード・ヒーリング・アート・トラスト(Waterford Healing Arts Trust、略称WHAT)」という組織があります。病院や地域社会におけるアートプログラムを通した健康・福祉の促進を目的とし、現在は全国的な芸術と健康のリソース組織として認められています。

    2017年には「49 North Street」という、アイルランド初のクリエイティビティとウェルビーイングの活動拠点となる施設が造られました(コーク県西部)。ここでは医療従事者やアーティスト、リハビリ中の人たちなどがアートセラピーなどのさまざまな芸術プログラムを開催しています。

    このようにアイルランドでは、国全体で「芸術と医療/健康」の活動を支援しており、2019年のアイルランド共和国における芸術と健康に関する活動のレベルと特徴を調査したレポート( Mapping Arts and Health Activity in Ireland )では、当分野の活動が過去20年間で6倍に増加したことが明らかになっています。(参照:Arts + Health「History of arts and health in Ireland」

    アメリカ合衆国

    フランクリン・D・ルーズベルト大統領のニューディール政策の一環として設立された政府機関「米国公共事業促進局 (WPA)」 は、1930年代に雇用を積極的に創出するため、病院や公共スペースにおける壁画制作に資金を提供しました。そして現在、ニューヨーク市最大の公共アートコレクションである「NYC Health + Hospitals Art Collection」の原型となりました。

    アートが持つ、患者への好影響に関する研究が増えるにつれて、病院ではアート作品の展示やアートプログラムが広がったといわれています。(参照:Arts + Health「An Introduction to Art Therapy: Its History and Practice」

    日本のホスピタルアートの歴史

    日本におけるホスピタルアートの歴史は浅く、1990年頃から主に、小児医療施設において患者の療養環境を考慮した空間がつくられるようになりました。これは欧米やイギリスの先進的な活動に影響を受けたうえでの活動でした。

    また病院に「アートディレクター」と呼ばれる、アート作品の選定や展示・環境の美化などを担当する職員が常駐し、アートにまつわる活動がおこなわれるケースが見受けられたものの、数としては決して多くはありませんでした。

    しかし近年は徐々に活動が活発化しており、なごやヘルスケアアートという医療・福祉分野におけるアートの活用を指すプロジェクトや、名古屋市立大学ではSDGs活動の一環として「ヘルスケアアートによる療養環境改善の実践と検証」と称したアートの制作や論文発表などをおこなっています。

    ホスピタルアートの効果

    ホスピタルアートの実際の効果については、さまざまな報告がなされています。日本ではまだ発展途上であることから、多くが海外での報告・調査結果ですが本章で分かりやすく解説していきます。

    不安度・痛みの認識度・入院率の低下などへの影響

    ウェールズにおける国民保健サービスを代表する会員組織「The Welsh NHS Confederation」によると、病院における芸術は下記の4つの軸において効果的です。

    1. 患者のケア
    2. 医療の環境
    3. 介護者のケア
    4. コミュニティにおける幸福

    患者の身体的・精神的・感情的な回復を後押しするだけでなく、不安を和らげたり、痛みの認識度合いを軽減したりする効果も持ち合わせることから、患者に好影響をもたらすとしています。

    また主にイギリスでおこなわれている取り組み「アーツ・オン・プリスクリプション」は、医師を始めとする医療従事者が、治療や健康促進の一環としておこなうアート活動です。この活動をおこなっている団体の報告書では、人々が美術館やアートギャラリーに積極的に通うと、イギリスの病院受診率が37%低下し、入院率は27%減ることが明らかになっています。(参照:RISE ART「Art for Wellbeing: The Relationship of Art and Mental Health」

    【アンケート調査】アートコレクションが健康に及ぼす影響

    アメリカ合衆国の非営利医療機関「クリーブランド・クリニック」では2012年、元患者に対してアートに関するアンケート調査を実施しました。回答者は826人におよび、アートが与える健康への影響は以下のように発表されています。(参照: Cleveland Clinic「How Much Does a Hospital Art Collection Improve Patient Experience?」

    上記以外では、芸術にかかわることで不安などの心理的症状が軽減されるほか、鎮静剤の使用量が低減することも示されていました。

    WHOが発行した「芸術活動と健康に関する初の報告書」を解説

    WHO欧州地域事務局は2019年に、世界各国で実施された研究のエビデンスをまとめた報告書「健康と福祉の向上における芸術の役割」を発表しました。このレポートは世界中の学術文献を網羅し、3,000件以上の研究・900件を超える出版物を参考にしており、「芸術は精神的および身体的健康に潜在的な影響を与える」ということが明らかにされています。

    本レポートでは芸術が与える影響を「①病気の予防と健康増進」「②病気の管理と治療」の2つのテーマに分けて解説しており、本章ではその内容を抜粋してわかりやすく紹介します。(本章の参照先:WHO「What is the evidence on the role of the arts in improving health and well-being?」

    (※WHOのレポート内における「art(芸術)」は下記の5カテゴリーに該当するとされているため、本章以下で使用される「芸術」には下記が含まれます。①舞台芸術(例:音楽、ダンス、演劇、歌、映画などのジャンルの活動)②視覚芸術、デザイン、工芸(例:工芸、デザイン、絵画、写真、彫刻、織物)③文学(例:書くこと、読むこと、文学祭に参加すること)④文化(例:博物館、美術館、美術展、コンサート、劇場、コミュニティ・イベント、文化祭、見本市への参加)。⑤オンラインアート、デジタルアート、エレクトロニックアート(アニメーション、映画制作、コンピュータグラフィックスなど)

    芸術が健康や病気治療においてもたらす効果は?

    「芸術」は健康管理と病気治療の観点から

    1. 精神疾患を患っている人のケア
    2. 急性疾患を抱えている人のケア
    3. 神経発達障害や神経疾患を持つ人のケア
    4. 慢性疾患の管理のサポート
    5. 終末期ケア

    に効果があると指摘されています。

    また、健康に対する付加価値をより分かりやすい形で社会に発信するためには

    1. 人生において、すべての人々が平等に「芸術」に触れられる機会を創出すること。
    2. 芸術活動が健康にもたらす影響・メリットを一般社会に知ってもらうこと。
    3. 健康的なライフスタイルをサポートするため、芸術活動を奨励する策を考案すること。
    4. 芸術と健康は異なる分野でありながらも、双方間には繋がりがあることを理解するために、文化・福祉・ヘルスケアなどの各分野が協力できる仕組み・メカニズムを強化すること。(例:現在は一般的に連携されていない医療・福祉における作業療法と芸術的プログラムをより有機的に連携できるような取り組みや医療従事者向けの芸術にまつわる教育など)

    上記のような活動に取り組むことが重要とされています。

    【図で解説】芸術と健康を結びつける関係性

    上図は、「芸術と健康を結びつける論理モデル」を表したものです。芸術活動は心理的・生理的・社会的・行動的な反応を引き起こす可能性を持っており、そのそれぞれが健康への効果と関係があるとされています。(出典:WHO「What is the evidence on the role of the arts in improving health and well-being?」

    たとえば、芸術活動における美的・感情的要素は、感情のコントロールやストレス軽減のきっかけとなります。感情は私たちの日々の心の健康管理に関わっており、ストレスは、健康にかかわる多様な危険因子であるため(心血管疾患やがん等)、これらを管理・軽減する効果がある芸術活動は医療現場で大きな役割を果たすと考えられます。

    さらに芸術に触れることで「認知的刺激」が起こるともいわれ、この認知的刺激は学習や能力向上に繋がり、ひいては認知症の発症リスクの低下・うつ病などの精神疾患の緩和といったポジティブな影響を及ぼすことも分かっています。

    芸術は終末期ケアのサポートも

    終末期ケアやホスピスケアは、「生命を脅かす疾患による問題に直面する患者とその家族に対して、痛みや其の他の身体的問題、心理社会的問題、スピリチュアルな問題を早期に発見し、的確なアセスメント対処(治療・処置)を行うことによって、苦しみを予防し、和らげることで、クオリティ・オブ・ライフを改善するアプローチ」です。(引用:公益社団法人 日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団 ホスピス財団「ホスピス・緩和ケアとは何ですか」

    こうしたケアにおいて芸術は、心理的および身体的サポート、また感情表現の機会の創出をおこなうことによって多くの人の支えとなります。芸術活動に参加することで、ホスピスケア内において新たなコミュニティを作ることができ、家族とのコミュニケーションの質が向上するといった効果があるといわれています。

    まとめ

    アートは幸福感・感情的機能・生活の質向上に密接に関連します。

    そのため病院にアートを取り入れることは、壁を美しく飾ることに留まらず、アートに触れて気持ちが明るくなる、アートを通した新たなコミュニケーションが生まれる…といった効果も期待でき、患者や職員の精神的充足感が高まっていくかもしれません。

    サステナビリティハブ編集部

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