水素とアンモニアの本当の話 ー第1回- 水素エネルギーとは

水素とアンモニアの本当の話 ー第1回- 水素エネルギーとは

目次

    はじめに

    この連載では、水素、アンモニアの導入に向けたその後の動向を織り交ぜながら、少し異なった切り口から、水素、アンモニアの導入を考える際に重要と思われる問題について書いてみたいと思います。

    脱炭素化を進めるうえでの水素、アンモニアに対する期待とその理由等については、「カーボンニュートラル実行戦略-電化と水素、アンモニア-」(戸田直樹、矢田部隆志、塩沢文朗共著、2021年3月、エネルギーフォーラム社)や国際環境経済研究所のサイト全般的な解説を書いております[1]ので合わせてご覧ください。

    ■執筆者

    【第1章】「水素エネルギー」再考

    【第1節】「水素エネルギー」という用語について

    まず「水素エネルギー」という用語の使い方についての反省から始めたいと思います。私自身も「水素エネルギー」という用語をこれまでよく使い、一般的にもよく使われていますが、その使い方には注意が必要のようです。

    IEA(International Energy Agency:国際エネルギー機関)が、水素とエネルギーの関わりについて書いた“The Future of Hydrogen[2]”では、水素について次のように説明しています:

    「水素は、電気と同様にエネルギーを運ぶ媒体であり、それ自体はエネルギー源ではない。水素と電気が大きく異なるのは、水素は分子による化学エネルギーの運搬媒体であり、(電気のように)電子のみから成るエネルギー運搬媒体ではないことだ。この本質的な差が、それぞれを特徴づける。分子だから長期間の貯蔵が可能であり、燃焼して高温を生成することが出来る。また、炭素や窒素等の他の元素と結合させ取扱いが容易なhydrogen-based fuelsに変換し利用することによって、(または、原料として利用することによって[3])、CO₂の排出削減に資する」[4]

    この説明のポイントの第一は、水素それ自体をエネルギーと理解することは正しくないということです。これを踏まえると「水素エネルギー」という用語は、水素自体がエネルギー、あるいは、水素エネルギーという形態のエネルギーがあるとの誤解を生む懸念があり、適切ではないことになります。

    第二は、水素のエネルギー媒体としての特徴や効用を理解するには、水素のみならずhydrogen-based fuels(以下、「水素ベース燃料」)も、対象にする必要があるということです。ただし、「水素ベース燃料」には炭化水素も含まれるので、その脱炭素化に果たす役割を考える際には、CO₂排出強度[5]を考慮する必要があります。「水素ベース燃料」にはアンモニア(NH3)も含まれます。

    “The Future of Hydrogen”では、おそらくこうした理由で、ごく一部の例外を除いて”hydrogen energy”という用語を使っていません[6]。この小論でも「水素エネルギー」という用語を使うことは避け、「水素」、「水素ベース燃料」を使うことにします。

    【第2節】「水素」は何故、日本の脱炭素化にとって重要か?

    水素の導入が、何故、日本のエネルギーの脱炭素化にとって重要か、再確認しておきたいと思います。水素導入を進めるうえで、留意すべき重要なポイントを押さえておくためです。

    日本は、2021年においてもエネルギー源の80%以上を化石エネルギーに依存しています。エネルギー源の脱炭素化が必要ですが、そのためには、エネルギーの消費構造、特に化石エネルギーの消費構造を変えていかなければなりません。

    日本の化石エネルギー消費の約50%は発電用です。電源の脱炭素化が喫緊の課題とされる所以です。化石エネルギーは、このほか産業部門で20%強、業務・家庭部門で10%強、運輸部門で20%弱が消費されています。

    電気に転換されたエネルギーは、最終的にはこれらのエネルギー消費部門で消費されることになりますが、エネルギーの最終消費形態を見ると、電気としての消費は全体の25%程度に過ぎません。残りの75%は、化石エネルギーが熱源や燃料、そして原料(鉄鋼の原料炭、石油化学のナフサ等)として消費されています。したがって脱炭素化のためには、これらの形で消費されている化石エネルギー量も合わせて削減しなければなりません。

    このためには、各エネルギー消費部門で電化を進めていくことが必要です。業務・家庭部門では、事務所や家庭の冷暖房や調理機器がエアコン、電子レンジ等に変わり、運輸部門では、自動車の電動化が進むという形で、電化が進むことにより化石エネルギー消費は減っていくでしょう。産業部門では、原料転換が必要となることもあって簡単ではないのですが、それでも一部の熱源は、ヒートポンプやデジタル制御技術の導入によるエネルギー利用の効率化や、電気ヒーターの導入等による熱源の電化によって、化石エネルギー消費の削減が可能です。

    このように日本のエネルギー需給の脱炭素化のためには、現在、消費されている電気の脱炭素化だけでなく、今後は、化石エネルギー消費を電力消費に変えていくための電気の脱炭素化も必要となります。それで電源の脱炭素化は、ますます重要な課題となるのです。

    こういった理由で、カーボンニュートラル目標達成の目標年の2050年には、電力消費量は、現在の10,000 億kWh/年弱から3~5割程度増加して、13,000~15,000億kWh程度になると見られています。

    2050年の電力消費量の見通しや、その電力量を賄うためのCO₂フリーエネルギーによる電源構成についての国の目標等は現時点では存在していません。そこで、2050年におけるCO₂フリー電源の構成の姿を、政府の審議会等における検討のなかで出てきた情報をもとに、ざっくりと試算してみました。それが【表1】です。試算に用いた根拠情報は、表の右欄に記しています。

    【表1】 2050年におけるCO₂フリー電力の導入可能量の推定(試算)

    この試算から明らかなことは、CO₂フリー電源を増やすためのかなり大胆な対策(例えば、原子力発電の最大限の活用や、洋上風力発電やCCS等の日本ではまだ実績がほとんどない技術の導入等)を講じても、【表1】中に記した電源のCO₂フリー化手段だけで必要な電力消費量を賄うのはかなり厳しそうだということです。

    こうしたことから、電源の脱炭素化を進めるために日本は、発電用のCO₂フリーエネルギーを大量に導入する手段をもつことが必要となります。しかし、日本の国内には量的にも質的にも、それだけの需要量を賄うことが可能で、経済性のある再エネ資源は存在していません。

    一方、海外には太陽光や風力といった再エネ資源に豊富に恵まれている地域があります。この再エネから得られる低廉な電力と水を用いて、水素という分子の化学エネルギー媒体に変換すれば、その再エネは長距離、大量輸送することが可能となります。

    水素は、天然ガス等の化石エネルギー資源の改質によっても製造することもできます[7]。(ただし、この場合は水素製造時に天然ガスに由来するCO₂が排出されるので、このCO₂をCCS(Carbon Capture and Storage:二酸化炭素の貯留)等によって除去する必要があります)

    海外にはこれらの方法による、安価な水素の製造が可能な資源に恵まれている地域、すなわち再エネが豊富に存在している地域や、天然ガス資源とCCS可能な地質構造に恵まれた地域が広汎に存在しています。

    水素や水素ベース燃料を用いれば、日本はこうした地域からCO₂フリーエネルギーを大量に導入することができるのです。こういった理由で、日本が脱炭素化を進めるうえで、水素、水素ベース燃料は重要な役割を果たすと考えられています。なお、ここまで日本の化石エネルギー消費の最大のウェイトを占める発電用のエネルギーについての話をしてきましたが、電化だけでは脱炭素化が難しい、産業部門の熱源、原料として消費されている化石エネルギー資源の転換でも、水素が重要な脱炭素化の手段となること、そしてこの分野でも大量の水素が必要となることを併せて指摘しておきます。ところで水素活用の意義として、国内に賦存する再エネの地産地消の手段となることが強調されることがありますが、量的規模から見て、それによる脱炭素化への寄与は限られています。

    以上、述べてきたような理由で水素、水素ベース燃料は、脱炭素化の手段として、特に日本にとって重要なものと考えられているのです。なおここで、“特に日本にとって”と書いた理由は、「水素とアンモニアの本当の話 ー第2回ー 水素の輸送方法とよくある疑問」の第1章「水素の利用では輸送方法の選択が重要」で述べます。

    また、日本が必要とする水素の量的規模がきわめて大きいということは、水素の導入方策を考える際の重要なポイントです。つまり、水素のサプライチェーンは、技術的にも、経済的にも大量の水素、水素ベース燃料が扱えるものである必要があるということです。

    ところで、上述のように水素は、同じ水素であっても製造方法によって製造時に排出されるCO₂量が異なるので、脱炭素化を進める観点からはそれを識別する必要性が認識されています。この問題については、下記の【コラム1】水素の色を参照ください。

    【コラム1】水素の色

    水素は、地球上にも豊富に存在する元素ですが、そのほぼすべては化合物中に存在しているので、水素を得るためには、水素化合物にエネルギーを投入して水素を取り出さなければなりません。しかし投入するエネルギーによっては、本文で記したようにその過程でCO₂が排出され、その量は水素の取り出し方によって異なります。このために、水素の製造の仕方を区別する必要が出てきました。

    こういった背景で(水素は無色透明の物質ですが)、水素の製造方法を区別するための“水素の色”が付けられ始めました【表2】。これらの中で、“グレー”(及び“ブラック”、“ブラウン”)は、水素の製造にともなって原料の化石エネルギー資源由来のCO₂が排出されるので、これらの水素は“CO₂フリー”とは言えません。

    【表2】“水素の色”の例(ドイツの「水素国家戦略」に記載されているもの

    脱炭素化の手段として水素の有用性についての認識が高まるにつれて、水素に関心を有する国々[8](欧州諸国、米国、オーストラリア等)においては、それぞれの国の水素関連政策の中で、水素の製造時に排出されるCO₂量に着目した水素の識別区分(=「色」に相当)の考え方についての案をまとめ、さらにはその区分への適合性を保証するための認証システムの創設や、区分に応じて政策的なインセンティブを付与し始めました。

    ただ、各国の識別区分は、各国の置かれている状況によって大きく異なっているのが実情です。何故なら、水素の主たる製造方法(再エネ電力による水の電気分解か/天然ガスの改質+CCSによるCO₂の貯留か)、そして、前者の場合であっても、再エネ電力の変動を補完する系統電力等の電源構成の差、後者の場合は、国によって天然ガス生産時に排出されるメタン(CH4)の量や、CCSで分離、貯留できるCO₂量の差があるからです。

    IRENA (International Renewable Energy Agency:国際再生可能エネルギー機関)は、このような状況を放置した場合には、透明性の高い、脱炭素/低炭素水素の国際市場の形成は困難であり、国際間取引が困難になるとの警鐘を鳴らしました[9]。こうしたことから、水素製造プロセス全体から排出されるCO₂量(CO₂の排出強度:Emissions Intensity)を指標として、製造される水素の質(=市場価値)を決めるべきとの議論が提起されています。

    IEAは、この考え方をさらに発展させて、水素の製造方法毎に製造時のCO₂排出強度の算定手法を国際間で合意するとともに、CO₂排出強度に着目して付与される ”A”  から ”I” の9つの区分を国際共通化し、それを取引の際に表示することによって、取引対象となる水素の質に関する情報共有を容易にすることを提唱しました[10]。IEAはさらに、各国で行われるCO₂排出強度、排出強度区分の認証結果を共有するための国際間の相互承認制度や、認証結果の情報を取引する水素とともに流通させ、国際間の水素取引の透明性と簡便性を高めるための「製品パスポート」の創設提案を行っています。

    【補足】

    “色”による製法の区別は、NH3の製法の違いを示す際にも、水素のケースと類似した形で使われます。“グリーンNH3”はグリーン水素を原料とするNH3; “ブルーNH3”は天然ガス等の化石燃料を原料としプロセス中で生成する(天然ガス由来の)CO₂をCCSで分離・回収し、地下貯留したもの; “グレーNH3”は天然ガス等の化石燃料を原料としプロセス中で生成するCO₂は、そのまま大気中に放出しているもの;という具合です。NH3の色についても、水素の色に係る議論と整合性のとれた形で、国際的な標準化が進んでいくと考えられます。

    ”色“はコラムで書いたとおり、今後、使われなくなる可能性もありますが、異なる製法の水素/NH3を区別して議論する際には、こうした“色“を使って説明した方が簡便なので、この小論では、以下、「グリーン」、「ブルー」、「グレー」等の用語を便宜的に用いることにします。

    まとめ

    今回は、「水素エネルギー」という用語について、また日本の脱炭素化に「水素」が必要な理由を解説しました。次回は「水素の輸送方法」や、水素に対して呈されることのある「疑問」について解説します。

    引き続き、ご覧ください。


    脚注

    [1]  「CO₂フリー燃料、水素キャリアとしてのアンモニアの可能性」(その1~12)(その1はhttp://ieei.or.jp/2019/11/expl/191107/ ) など。

    [2] “The Future of Hydrogen -Seizing today’s opportunities- “, 2019.6, IEA

    [3]水素を原料として利用することによるCO₂の排出削減効果は、重要な水素の効用の一つだが、この小論では紙幅の関係で、詳しく触れることが出来ないことを予めお断りしておく。

    [4]“The Future of Hydrogen”の第1章にある記述を抜粋・意訳。

    [5]Cを分子中に含む物質を燃焼した際に排出されるCO₂の量の大きさのことで、一般的に(燃焼時に発生するCO₂の重量)/(燃焼する物質の重量)で表す。なお、(燃焼時に発生するCO₂の重量)/(燃焼によって生成するエネルギー量(kWh、Jule(ジュール)、cal(カロリー等)で表す場合もある。(例:電力のCO₂排出係数など。)

    [6] “The Future of Hydrogen”では、雑誌や会議体の名称等の固有名詞を引用しているケースを除き、”hydrogen energy”という用語を用いているのは3カ所に限られ、そのいずれの場合も「水素エネルギー」の実体を説明する際の用語としては用いてはいない。

    [7]現在、水素のほとんどは、化石エネルギー資源の改質によって製造する方が安価なのでこの方法で製造されている。しかし今後は、再エネ電力、電気分解設備の価格低下等から、水の電気分解による水素の製造コストの価格競争力が高まると見られている。

    [8]海外から水素導入を企図する日本のような国だけでなく、水素製造に競争力を有する国々(再エネ資源に恵まれている国々や、天然ガスとCCS可能な地質構造に恵まれた国々)。

    [9]“Creating a global hydrogen market: Certification to enable trade,” IRENA, January 2023

    [10]“Towards hydrogen definitions based on their emissions intensity,” IEA, April 2023

    塩沢 文朗|Bunro Shiozawa

    元内閣府戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)「エネルギーキャリア」 サブ・プログラムディレクター (NPO法人)国際環境経済研究所 主席研究員

    塩沢 文朗|Bunro Shiozawa

    経済産業省、内閣府において科学技術担当の大臣官房審議官等を勤めたのち、住友化学に入社。同社で理事、気候変動対策室長などを勤める傍ら、2014~18年に内閣府戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)「エネルギーキャリア」のサブPDとして、水素、アンモニアの製造、輸送、利用に係る研究開発や調査研究に従事。その後も、水素、アンモニアに関する内外のシンポジウムや講演会に参画するとともに、書籍や多くの記事を執筆。趣味は旅行。